わかばテラス

長崎スイートピー物語 2015 ― 秘話 ―

2015年9月21日長崎国際テレビ(NIB)で放映された「長崎スイートピー物語2015」を御覧いただいた多くの方々から、様々な御質問やお話を伺い、このドキュメンタリー番組をより理解していただくために、もう少し詳しい内容を補充した方がよいと考え、この「― 秘話 ―」を作製いたしました。

― 認知症に関する国際会議に関して ―

日本では認知症は年々増えていますが、イギリスではこの20年間で認知症が減少しました。この事実は2013年医学雑誌Lancetに発表され、とくに80歳代前半では認知症の有病率は15%→10%に、80歳代後半では25%→15%に減少していました。
その理由として考えられたのは、生活習慣病を予防するために、食生活や運動習慣、禁煙を指導し、糖尿病・高血圧・脂質異常症などの生活習慣病を改善するように英国政府が国民に呼びかけた結果、当初予想もしなかった認知症が減少したというものでした。

イギリスからだけでなくオランダからも近年認知症が減少したとの報告があります(Rotteldam研究:Neurology 2012;78:1456)。 しかし日本では認知症は年々増え続けており、2012年には462万人と言われていましたが、最も新しい2015年の厚労省の推計では525万人となっています。

― 俵町浜野病院の屋上菜園の由来 ―

当初の目的は、地球温暖化を少しでも防ごうとするための屋上緑化でした。2008年に病院の屋上にルーフソイルという特殊な土を使って、花壇・菜園をつくりました。そこに植物を植えることでCO2を吸収し、また階下の冷房効率が改善し省エネに結びつくと考えたのです。
しかし、病院の屋上に植物を植えた場合、「一体誰が世話をするのか?」ということになりました。そこで、病院2階のデイケアに来ておられたお年寄りの中に畑仕事をしていた人がいたので、そうした方々に植物のお世話をしていただこうということになりました。
では次に「何を植えよう?」となった時に「皆で食べられる野菜を植えよう!」ということになり、キュウリ、トマト、ナス、ピーマン、枝豆やスイカなどを植えてみました。そうしたところルーフソイルという特殊な土のおかげと、お年寄りが毎日毎日楽しんで水やりをしたり、お世話をしてくださったためキュウリは200本以上、ナスも50本以上と、とてもたくさんの野菜が実りスイカも大きく育ちました。
それを収穫する時のお年寄りの姿は私にとってとても衝撃的でした。普段見たこともない、素早い体の動きをし、目は輝き、笑顔があふれていました。お年寄り同士の会話もとてもはずんでいました。いつものデイケアでは見られないとても生き生きしたお姿でした。
その姿を見て私は、お年寄りには結構潜在的活動能力があるのだなという印象をもちました。それならその潜在的能力をこれからも引き出して、ADL(日常活動能力)を改善するようにつなげていけば良いと考えました。食べられる野菜を植え、育て、収穫するという園芸活動で、人は元気になることがわかりました。「食べることは生きること。食べられる物を生産することは生きる意欲につながる」これが里山療法の原点になりました。この時の様子は2009年にテレビで放映された「魔法のガーデン」に描かれています。この時からの密着取材が今日まで続いています。

― 誰かのために喜んでもらうために活動する ―

お年寄りに、人のために役立つことをしていただくことはとても大切なことです。高齢となってデイケアに参加し、人の世話になってばかりいるお年寄りにとって、人の役に立つことをし、人から「ありがとう」の言葉をいただくことは、お年寄りに「生きがい観」を感じていただくことになります。自分の生きる価値を感じていただくことになります。もっと頑張ろうという意欲を引き出します。「生きがい観」をもっていただくことは、高齢者にとってとても意味のある重要なことだと言われています。(日本医師会雑誌 第138巻 S304 2009年)その生きがい観を創出するのに、里山療法はとても有効だと考えています。

― 野菜畑だけあれば良いのではなく、美しく咲く花も必要 ―

それが装飾菜園(ポタジェ)です。美しい花が咲いているのを見ると心が和みます。野菜の収穫はしょっちゅうあるわけではないので、お年寄りを外に連れ出して活動していただくためには、花が咲いていることも大切です。花は心を豊かにしてくれます。畑の傍に花が咲いていると会話もはずみます。

― 私が唐突に砂紋を描いている ―

後半に取り上げられている日本庭園につながるシーンです。実際、京都の金戒光明寺の庭で、加藤造園の方から指導を受けました。砂紋は水を表現しています。ですから砂紋は心を落ち着かせる効果があります。

― スイートピーとダイアナ元皇太子妃の御実家スペンサー伯爵家 ―

今よく見かけるスイートピーはスペンサー家の庭師が約130年前に品種改良で造り出したものだそうです。それ以前のスイートピーは花がとても小さかったそうです。 イギリスではスイートピー祭りがあり、美しく咲かせたスイートピーのコンテストがあります。ダイアナ妃の結婚式の時のブーケはスイートピーだったそうです。また亡くなられた時、棺の中のダイアナ妃のまわりはたくさんのスイートピーでうめつくされたそうです。ロンドンから約110kmの郊外オルソープにある500年の歴史のあるスペンサー城。その玄関ホール(ウートンホール)の床の黒白の市松をまねてわかばテラスの玄関ホールも市松にしました。オルソープにあるスペンサー城のウートンホールには来客用の椅子がたくさんあります。この椅子には布や皮革は使われておらず、全て(座面も)木で作られています。昔は馬で移動することが多く、衣服には土や砂埃がたくさん付いていたので、そうした汚れた衣服のまま座ってもよいように椅子の座も木製のままです。この椅子はウートンホールチェアーと呼ばれ、そのレプリカが、わかばテラスの玄関ホール(六角堂)にも10脚あります。庭で作業をして衣服に泥が付いたままでも安心して座っていただけます。また画面にはほんの少ししか映りませんが、ウートンホールの奥には白いコンソールがありますが、そのレプリカもわかばテラスの六角堂にあります。

― わかばテラスの里山ガーデンについて ―

ガーデンの名前はスペンサー伯爵の承諾を得て「オルソープガーデン」と命名されています。広さは約1000坪ありその庭の各所に棚田や畑が点在しています。棚田ではもち米を育て、お正月には皆で餅つきをします。畑ではその季節季節に応じて、いろんな野菜を育てています。畑は庭のあちこちにあるため、畑仕事をするために、庭のあちこちを歩くことになり(屋外歩行)、里山のようなアップダウンのあるガーデンを歩きながら園芸活動をするため、そしてその行動がお年寄りの心と体を元気にするため里山療法と呼ぶようにしました。

この研究は2010年の第1回アジア慢性期医療学会で発表し表彰されました。
その際の脳血流の変化を見るために光トポグラフィー検査を行いました。

― トウモロコシの観察研究について ―

トウモロコシの観察研究は、認知機能の改善のために行っています。
1人の方にポットを3つ用意し、1つのポットにトウモロコシの種を3つずつ蒔きます。観察日誌には、いくつ種を蒔きましたかとの質問があり、そこに9個と記入します。しかし短期記憶障害の強い方は、目の前の種が(土の中に入って)見えなくなったので、それが答えられない方もいます。
1週間後芽が出ますが、1つの芽に葉が2~4枚出ます。合計いくつの葉がつきましたかとの問いに、葉の枚数を数え、合計して答えます。
茎が伸びて来たら茎の長さを計り、それを合計します。(光トポグラフィー検査の際、スタッフは茎の長さを測るためのメジャーを持っています。)
こうした実在する物(種、葉の数、茎の長さ)を正しく数え、正しく計り、それを合計するという作業を、トウモロコシが実り収穫するまで続けます。約3ヶ月この作業を続けると、認知機能が改善します(MMSEは2~3点改善)。

― わかばテラスの里山ガーデンについて ―

光トポグラフィーは「近赤外線」を用いて、脳の前頭葉の表面の血流を見ることができます。(番組では「赤外線」と表記されていますが、「近」まで付けると一般の方にとって難しい言葉と感じるとのことで「近」を付けずに表現しました。) 葉の枚数を真剣に数え、それを合計している時は画面が赤くなります。つまり前頭葉の血流は増えているのです。 次の男性は、クッキー造りのためタマゴの黄身と白身を分ける作業をしています。生卵の殻が丁度いい具合に割れる位の力で割り、黄身と白身がこぼれないようにうまく分ける。この時傍にいた私達は光トポグラフィーの画面が急速に真赤になってゆくのを見て、思わず声を上げました。集中して作業することが脳の血流を増やしたのです。しかし、料理をしなれていた女性の方に、ダイコンの皮をむいて、切ってもらうなどの、今までいつも行っていた作業をしてもらっても、脳血流は増えませんでした。 料理が脳に良いとよく言われますが、アルツハイマー型認知症は圧倒的に料理を造って来た女性に多いですよね。造り慣れた料理を造っても緊張感のない作業なので、脳血流は増えません。新しいメニューにチャレンジして「上手にできるかしら」と思いながら緊張して料理を造ることが脳に良いと考えられます。

― 芝生を素足で歩く ―

爽快感があることは誰でも理解できると思います。そのためスタッフ達は芝生の上に踏んではいけない物(小石や鳥のフン、虫など)がないことを事前に確認しています。芝生の散歩も光トポグラフィー検査を行いましたが、やはり脳血流は増えていました。

― 川久保周一さん ―

入居される前は糖尿病のコントロールが全くできておらず、時折家に訪れる娘さんとはいつも食べ物をめぐってケンカになっていた方です。娘さんは父の体を思って、嫌がる父を医療のバックアップがしっかりしているわかばテラスに入れました。川久保さんは保健所に勤めたことのある方で、介護事業のことも良く知っておられました。入居の際「よくこんな施設を思いつきましたね。構想何年位ですか?」と聞かれたのを覚えています。入居後は糖尿病食を食べていただき、庭の散歩や畑仕事などをしていただくうちに、糖尿病のコントロールはどんどん良くなっていきました。しかし時折、自室で缶ビールを飲んだりしていた様です。その空き缶を見つけた娘さんと、またケンカになったりしていました。屋外での活動が好きな方でしたので、様々な里山療法には必ず参加していただきました。田植え、稲刈り、もちつきなどほとんどの農作業が得意な方でした。
わかばテラスに入って新たに始めたことがマージャンでした。テラスにはマージャンが得意な方がいらっしゃいますが、川久保さんは新米で、ほとんど負けていらっしゃった様ですが、楽しんでおられました。
掛屋剛志君のホームコンサートの一番乗りは、友人の岡部さんで、その近くでコンサートを楽しんでおられました。 入居前に前立腺癌の治療は終了していました。H25年3月、当院で早期胃癌が見つかり、内視鏡による治療を他総合病院で受けていただきました。その治療後の経過をみるために行った内視鏡検査でH25年11月に食道癌が見つかりました(食道神経内分泌腫瘍)。この時点で既に上部食道の右側に25mm×17mm程度のリンパ節転移が認められていました。この癌は一般の食道癌と違って、とても転移しやすい癌でした。前医で説明を受けた娘さんは(手術や抗癌剤、放射線治療では十分な効果が得られないかもしれないという説明)わかばテラスでこのままできるだけ苦しまない生活を続けさせようと御判断なさいました。私もこの考えに賛同し、わかばテラスで川久保さんを看取る決意をしました。しばらくは穏やかな日々が続き、食事もしっかり食べておられました。
しかし年が明けたH26年1月10日頃から声がかすれるようになりました。CTを撮ったところ食道癌の進行による症状であると診断されましたが、体を動かしても息苦しさはなく、食事の摂取もできておられました。(この頃娘さん達に真珠を買いなさいと伝えておられます。)声のかすれはその後も少しずつ進行していきましたが、歩行はしておられました。里山の活動にもしっかり参加しておられました。
4月に入ると右鎖骨上部のリンパ節転移が外から見て明らかになり、歩行後の息苦しさも自覚されるようになりました。4月中旬には固形物をのみ込むと、途中でつかえた様に感じると言うようになりました。4月下旬には体を動かすと息苦しいため本人が「病院に行って何とかしてほしい」と訴えるようになりました。ついに食道癌が悪化、リンパ節転移が進行し、固形物をのみ込んだり、歩行時の呼吸が苦しくなって来たのです。娘さんは症状を理解しておられ、できるだけ、できるなら最後までわかばテラスで生活してもらいたいとは思っておられました。しかし呼吸が苦しくなり、本人が病院に行って苦しさを軽減してほしいと希望なさいましたので、病院に入院することになりました。この時点で私は、本人の苦痛をとるためには気管切開しかないと既に判断していました。しかし気管切開をすると声を失ってしまいます。やっとの思いで父と娘の確執がとれ、仲直りしたばかりなのに、会話ができなくなることも、私としてもつらいことです。ですから、その時期をできるだけ延ばそうと思いました。しかし癌は進行します。そしてついに5月5日、息苦しさがとても強くなり、私の目の前で気道閉塞がおこり、息を吸う動作をしても空気が肺に入らなくなりました。その瞬間を見ていましたので直ちに下顎挙上を行い空気が肺に入るようにしました。ですから意識がなくなることはなく、下顎挙上から直ちに気管内挿管を行うことにしました。しかし、もし癌が気管の壁に浸潤していたら、気管内チューブを入れる際にその表面をこすってしまって大出血になる恐れがあったので気管支ファイバーで確認して挿管チューブを入れました。当然本人はまだ十分に意識はありました。

(テレビの画面に映った「わかばテラス讃歌」は、他の入居者の方が川久保さんのノートを見て、毛筆で清書してくださったものです。)

せっかく父と娘が仲良くなれたところなので、できるだけ苦しまないようにして長く生きてほしいという娘さんの願いを受け、気管内挿管の翌日に気管切開を行いました。気管切開は通常前頚部の中央部(正中)で行いますが、その部位の気管の周囲に癌が拡がって来ていたため、正中は避け、癌がまだ及んでいない正中よりかなり左側から行いました。意識のある川久保さんは声を失いました。しかし懸命に自分の気持ちを私たちに伝えてくれました。それをできるだけかなえてあげようと私達は動きました。 病院の屋上にお連れし、屋上に咲くスイートピーを見ていただきながら、娘さんとトウモロコシの種蒔きをしました。画面には三つの小さな黒いポットが映っていますが、そのポットに川久保さんの目の前で、私と娘の玲さんが種を蒔きました。そうした、いつもテラスでしていたことをしているうちに川久保さんは「テラスに帰りたい」と声にならない声で口を開きました。 この時には娘さんも川久保さんが自分のノートに「わかばテラス讃歌」を書いていたのを知っていたので、できるだけ父をテラスに戻したいという気持ちになられました。

川久保さんは、里山療法を通じて、春、夏、秋、冬のテラスの四季を十分に楽しんでおられ、ほんとうにテラスで生活することができてよかったと思っておられたのです。川久保さんが「わかばテラス賛歌」を綴ったノートは、奥さんの形見の家計簿でした。自分の思いを天国の奥さんに届けたかったのだと思います。

―川久保さんをテラスに迎える事前ミーティング―

「こんな重症な人を今までテラスでお世話したことがない。」「どうしよう。」「とても心配、不安だ。」という思いがテラスのスタッフ達にはありました。そうした彼らの思いも私は十分に受け止めていました。しかしここで叶えてあげなければならない最優先は、川久保さんの思いです。わかばテラスは、人生のラストステージを共に生きて来た仲間達のいる我が家です。そこに帰りたいと思うのは当然のことで、それを叶えて、川久保さんを天国に送るのが私達の使命です。スタッフ達はその気持ちを十分に理解してくれました。介護スタッフだけになることはなく、必ずナースが傍にいるという状況を私はつくりました。御家族はこの対応にとても安心され、本人の意志でテラスに戻られたことを心から喜んでおられました。

―川久保さんをテラスに移送する―

病室から出る時「今からテラスに戻りますよ」と声をかけ、移動が始まりました。川久保さんはずっと目を閉じたままで、そのまま介護タクシーに乗り込みました。 しかし車が動き始めた途端、川久保さんの両目がパッと開かれました。傍にいた私とナースはとても驚きました。本当に待ちに待っていたのです。テラスに着いた時には、出迎えてくれた仲間達をしっかり見つめました。薫花と詠んだスイートピーの花束を見つめました。このスイートピーは、前年の秋にテラスの仲間達と皆で植え、大切に育てたものでした。
テラスのスタッフや仲間達はいろいろ考え、何か口にできるもの、喜んでもらえそうなものを用意していました。抹茶の水羊羹やゼリーなどを口に運びましたが、のみ込もうとはされませんでした。しかし川久保さんが酒好きなのを知っていた私は焼酎のゼリーがあることを知り、それを娘の玲さんに取り寄せてもらっていました。そうしたところ川久保さんは焼酎のゼリーはほんの少しですが口にしのみ込まれました。皆笑いました。こうした一時は人が生き終える時にはとても重要です。
病院の病室のベッドに横たわっている時、川久保さんは病室の天井ばかり見ていましたが、テラスに戻ってからは外の景色を見ようと目を動かすようになりました。しかしベッドに横たわったままでは美しい庭を眺めることはできません。これはとても残念なことでした。川久保さんが亡くなられた後、私は車椅子のまま、あるいはストレッチャーのままでも眺められる美しい景観があればよいのにと思いました。そうすれば人生の最後にも里山療法に参加していただけると考えました。この発想 ―人生最後の里山療法― が日本庭園を造るきっかけになりました。

― 偲ぶ会 ―

その会が始まる前、私と敦子医師は2人の娘さんと別室でお話しをしました。川久保さんが作ってくれた「わかばテラス讃歌」にメロディーを付け、日本語のままでは歌いにくいので英訳して音楽にのせ、テラスで歌いつないで行こう。そのメロディーを何にするか、私と敦子医師でイギリスとくにスコットランド民謡を何十曲も聞き、これだと選んだのが「アニーローリー」という曲だとお話しました。「アニーローリー」と聞いた途端、姉妹は顔を見合わせて、とても驚いた表情で「どうしてアニーローリーになったのですか」と、とても真剣な眼差しで聞いて来られました。私はそのお2人の様子に何かあるのかと思いました。「実はこの曲は、子供の頃に父がマンドリンを弾いて聞かせてくれていた思い出の曲で、父はアニーローリーしか弾かなかったんです」と。そうしたことを知らずに私たちがその曲を選んだこの偶然に2人の姉妹は大粒の涙を流して感激されました。 私と敦子医師も「こんなことが、こんな偶然があるのか」ととても感動しました。私はこれからこの歌を、掛屋君とテラスに集う仲間達に歌いつないでもらおうと思いました。

ところが問題がありました。掛屋君は目が見えません。彼が歌やピアノの伴奏を覚えるのは全て耳からです。CDを何度も何度も聞いて覚えています。しかしこのアニーローリーの「わかばテラス讃歌」にはCDがありません。そこで敦子医師が掛屋君の耳元で何度も何度も歌って彼に覚えてもらいました。)

こうした偲ぶ会にはお茶菓子が出されるのが通常ですが、この時は5月に病院の屋上で蒔いた川久保さんのトウモロコシを、テラスの仲間達がお世話して実らせたトウモロコシが出されました。娘さん達にとっては、父からの最後のプレゼントのトウモロコシでした。娘さん達は涙を流しながらに召し上がっておられました。

― 五島聖子教授との出会い ―

前のシーンで「しかしこの時浜野先生の胸にはある思いが宿っていました」と三平さんが語っていたその思いとは、先にもお話しました、車椅子やストレッチャーに乗ったままの低い位置からでも眺められる美しい自然(庭)があれば、その庭を眺めて心が穏やかになれる。つまり自分で動くことができなくなった方にできる人生最後の里山療法の場を造りたいというものでした。 五島教授は、H26年に米国のラトガース大学から長崎大学に赴任してこられたばかりの、環境科学を専門とする研究者です。米国でナーシングホームにいろんな庭をつくり、どんな庭がお年寄りに喜ばれるかを研究しておられました。結果は「日本庭園」が一番好まれたということでした。私は日本庭園についていろいろ調べて、どんな日本庭園が良いかを自分なりに考えてみました。  私がいいと思った庭は、小堀遠州という茶人でもあり作庭家でもある人が造った、京都、大徳寺の塔頭の一つ孤篷庵の茶庭でした。このアイデアを元に五島先生が作庭して下さいました。 私は、日本庭園の良い所を考えてみました。イングリッシュガーデンと違って日本庭園には深みがある。イングリッシュガーデンの場合、そこに花が咲いていたらその花を見て美しいと思う。その花の美しさは、そのガーデンのその場所で咲く美しさだが、日本庭園では見る人の視線が見ている植物のさらに奥に入り込む。見ている植物の向こうにある植物に目がいく。こうした奥行きが日本庭園の良さだということがわかりました。庭師はこれを「透かし」の技法でつくり出しています。 また日本庭園は花が咲いていなくても、四季折々の美しさがあることも利点です。 脈波を記録しながら日本庭園を見る研究活動は約20人の方に行いましたが、15分間庭園を見ている間に眠ってしまう方はいませんでした。認知症が中等症の方でもちゃんと庭を眺めていました。 テレビの映像の方は102歳の方ですが、15分間しっかりと庭園のあちこちに目を運んでおられました。その方の脈波解析では心拍数が緩やかに下っていました。自律神経の副交感神経の活動が優位になったからです。脈拍数が少ない人のほうが寿命が長く、副交感神経の働きが活発になれば免疫にかかわるN-K細胞の活性も高まり、免疫力強化につながるという研究報告があります。 (私のコメントの中で自律神経の中枢、視床と言っていますが視床下部の下部を略しています。) つまり日本庭園を観ることで、人はより健康になるということが言えます。現在この研究は長崎大学と米国ラトガース大学、それに香港科学技術大学の3ヶ所で進められていて、2015年10月18日から2週間、香港から研究者がわかば会に来て、研究に参加しておられます。私も2016年の米国の研究会で研究結果を発表することになっています。

― カールヘラップ博士 ―

脳神経科学が専門の医師で、元米国ラトガース大学の教授で、アメリカで五島聖子先生と認知症に関する共同研究をしておられました。現在は国立香港科学技術大学の生命科学部の学部長をしておられます。香港も日本と同じ長寿の地域で、認知症が大きな問題となっています。ヘラップ先生が立ち会った際に日本庭園を見ていた方は、高度のアルツハイマー型認知症(MMSE10点 ADAS- Jcog33点)の方ですが、日本庭園の各要素をちゃんと目で追っていました。高度の認知症の方でも正常の方と同じ視線でしっかりと日本庭園を見ていました。

― 入院中の谷口春行さん ―

89歳の方で、2014年12月に肺炎を発症し入俵町浜野病院に入院されました。その後敗血症、DIC(播種性血管内血液凝固症候群)となり病状が急激に悪化したため一時市内の基幹病院に移り治療を受けました。その後、病状が安定し再び当院に戻って来られましたが、その後また肺炎から敗血症となり転院、症状が安定したためまた俵町浜野病院に戻ってきました。しかしその後また肺炎から敗血症になりを3回くり返し、8ヶ月間入院生活を送っていた方です。奥様も一緒にテラスに入居しておられ毎日お見舞いに行っていたため、くたびれておられました。 2015年初夏になってようやく症状が安定し病気の再発のリスクは低くなりましたが、まだ食欲もなく気力・体力とも低下したままです。立つことはもちろんできませんし、食事も全介助です。リクライニングの車椅子に短時間座るのがやっとの状態でした。 しかしテラスに戻り、日本庭園を見ながらくつろいでいただいたところ、突然谷口さんは私に「私には1つやりたいことがあるんです。それをこれからここでやりたいんです。」とおっしゃいました。子供達に英会話を教えてあげたいということでした。 私は驚きました。やっと命を取り止め、あと数日で90歳になる方がまだ夢を持っていて、実行したいというのです。日本庭園で心が穏やかになり、さらに気力が向上し新しい夢にチャレンジしようとする力が沸き起こったのです。見るだけの日本庭園が、残された人生をより有意義なものにしようとするパワーを与えたのです。 谷口さんが以前に住んでおられた御自宅には庭があり、その庭の管理を研修するため京都で造園・庭園の管理維持について勉強したことがあったと聞いて驚きました。 オルソープガーデンで様々な活動をする里山療法ですが、活動できなくなった人に見ていただくために日本庭園を造ったところ、見るだけでなく、さらに前向きに生きようとするエネルギーが引き出されました。見るだけの日本庭園も里山療法としての意義 ― 人生最後の里山療法 ―があることがわかりました。

― もう一人夢をかなえた古谷美代さん ―

98歳になられる方で、お茶の先生を長年しておられ、オルソープガーデンで野点の茶会を開きたいというのが入居時からの夢でした。 野点の茶会にお出ししたお菓子は入居者の方々の手造りのもので、約150人の方がお見えになりとても喜んでいただけて、古谷さんもとても満足しておられました。人のお役に立てたという「生きがい感」を十分に感じておられました。