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住人達の物語

まず初めに
〜ナラティブ ベイスド メディスン アンド ケア、NBMとは~

現代の医療は、大多数の人々を対象に行った臨床試験の結果から導き出された、科学的根拠に基づいて行われています。 しかし、集団から得られた結果をすべての人に当てはめることには問題もあります。人には個性があり、人生や健康、病に対する価値観がそれぞれ異なります。それぞれ生きてきた人生、「物語」があります。NBMでは「病」を人生という大きな物語のなかで展開する「一つの物語」ととらえ、患者さんを語り手として尊重します。 私たちは、すべてのスタッフがNBMについての理解を深め、傾聴と対話と共感によって、その方の今までの人生の物語をまず語り出していただける環境づくり、そして、これからの人生の物語を紡ぎ出すお手伝いをします。これにより、お年寄りや終末期の方が人生を肯定的に捉えるようになり、心のケアにつながると考えています。 ここでは、ご家族に了承をいただいた、わかばテラスを終の住処に選んでくださった方々の物語をご紹介いたします。

Kさん
「娘さんとの仲も、糖尿病も改善」

入居される前は糖尿病のコントロールが全くできておらず、時折家に訪れる娘さんとはいつも喧嘩になっていた方です。娘さんはKさんの体を思って、嫌がるKさんを医療のバックアップがしっかりしているわかばテラスに入れました。入居後は糖尿病食を食べていただき、庭の散歩や畑仕事などをしていただくうちに、糖尿病のコントロールはどんどん良くなっていきました。屋外での活動が好きな方でしたので、様々な里山療法には必ず参加していただきました。ほとんどの農作業が得意な方でした。

「悪性腫瘍を患い、必要となった医療・介護の連携」

その後、早期胃癌治療後に、食道神経内分泌腫瘍というとても転移しやすい癌も合併し、前医で手術や抗癌剤、放射線治療では十分な効果が得られないかもしれないという説明を受けた娘さんは、わかばテラスでこのままできるだけ苦しまない生活を続けさせようと御判断なさいました。その後しばらく穏やかにテラスでの生活を楽しまれていましたが、徐々に歩行後の息苦しさやのみ込みが難しくなりました。そして体を動かすと息苦しくなり、本人が「病院に行って何とかしてほしい」と訴えるようになりました。そのため本人の現在の気持ちを最優先し、当医療法人の病院に入院することにしました。この時点で、本人の苦痛をとるためには気管切開しかない状況であった為、入院翌日に気管切開を行いました。Kさんは声を失いましたが懸命に自分の気持ちを私たちに伝えてくれました。それをできるだけかなえてあげようと病院の屋上にお連れし、屋上に咲くスイートピーを見ながら、娘さんとトウモロコシの種蒔きをしました。そうした、いつもテラスでしていたことをしているうちにKさんは「テラスに帰りたい」と声にならない声で口を開きました。

「終の住処であるわかばテラスへの想い」

Kさんは、里山療法を通じて、春、夏、秋、冬のテラスの四季を十分に楽しんでおられ、ほんとうにテラスで生活することができてよかったと思っておられたのです。Kさんがテラスでも大切にされていた奥さんの形見の家計簿には、Kさんの、テラスへの思いを綴った「わかばテラス讃歌」が書かれていました。
わかばテラスは、人生のラストステージを共に生きて来た仲間達のいる我が家です。そこに帰りたいと思うのは当然のことで、それを叶えるのが私達の使命です。スタッフ達はその気持ちを十分に理解し、必ずナースが傍にいるという状況をつくりました。御家族はこの対応にとても安心され、本人の意志でテラスに戻られたことを心から喜んでおられました。

「癒しの庭を見つめていたい」

病院の病室のベッドに横たわっている時、Kさんは病室の天井ばかり見ていましたが、テラスに戻ってからは外の景色を見ようと目を動かすようになりました。しかしベッドに横たわったままでは美しい庭を眺めることはできません。これはとても残念なことでした。Kさんが亡くなられた後、車椅子のまま、あるいはストレッチャーのままでも眺められる美しい景観が必要だと思いました。そうすれば人生の最後にも里山療法に参加していただけると考えました。この発想が ―人生最後の里山療法― 日本庭園を造るきっかけになりました。

「わかばテラスへの想いを歌にのせて」

Kさんを偲ぶ会、その会が始まる前、私達は2人の娘さんと別室でお話しをしました。Kさんが作ってくれた「わかばテラス讃歌」にメロディーを付け、日本語のままでは歌いにくいので英訳して音楽にのせ、テラスで歌いつないで行こう。そのメロディーを何にするか、イギリス民謡を何十曲も聞き、これだと選んだのが「アニーローリー」という曲だとお話しました。「アニーローリー」と聞き、姉妹は顔を見合わせて、とても驚いた様子でした。「この曲は、子供の頃に父がマンドリンを弾いて聞かせてくれていた思い出の曲で、父はアニーローリーしか弾かなかったのです」と2人の姉妹は大粒の涙を流されました。この歌は、テラスに集う仲間達で永く歌いつないでいこうと思います。

わかばテラス讃歌を英訳した歌詞

Long fulfilled and deep desire,
together once and for all,
and as time slips by our journey,
will come to rest right here.

Through breezy summers nights,
autumn harvest delight,
winter passes my heart,
makes me stronger,
'till the dawn of our spring brings light.

Heaven sent to me oh terrace,
we'll be apart nevermore
I entrust my heart to sweet pea,
I'm free, I've found my home.
Nさん
「認知症による混乱から、落ち着きを取り戻す」

は教育熱心な母親であり、お洒落で先進的なビジネスウーマンとしても成功された方でした。息子さんは東京で暮らしておられ、ご本人は一人暮らしをされていましたが、認知症の進行のため健全な生活が難しい状況であることを知った家族や仲の良い知人の方々に勧められてわかばテラスに来られました。しかし、入居の際も認知症のため、状況が飲み込めずに興奮状態となり、「家に帰る」と頑なにおっしゃったのです。ご家族も説得できず、諦めて帰ろうとなさったところを、施設長がお話をしましょうと声をかけました。Nさんはゆっくりと時間をかけてお話を傾聴することで次第に落ち着きを取り戻され、入居に同意されました。

「やる気が出るきっかけ」

Nさんは、わかばテラスで生活しているうちに、ここをホテルだと思っていらっしゃるようでした。そう思っていただけて大変光栄だと思いましたし、ご本人もホテル暮らしを楽しんでいらっしゃることが何よりでした。そして、昔の話をしていると、彼女の事業家としての自信を感じました。そこで、テラスのお手伝いをして下さいね、とお伝えすると、本当に生き生きと日々過ごされるようになりました。クリスマスには、大きなツリーのデコレーションをするのですが、この時もNさんのアドバイスで素敵なツリーが出来上がり、Nさんの喜びと活気に溢れる表情を見て、「母はこんな表情もするのですね。」と息子さんも涙されたのでした。

「最期の日々もご本人の希望に沿うように」

元々食が細く、体重減少も進んでいたNさんでしたが、徐々にさらに食事量が減り、当医療法人の病院で入院し、点滴治療が必要な状態となりました。環境の変化を嫌う方でしたが、施設長を非常に信頼していただいており、点滴加療に際しても興奮状態になることなく受けていただくことができました。 少しずつ弱っていかれる最期の日々にも、テラスでスイートピーの花を見たり、ご友人達との再会を楽しまれるなどご本人の希望にそうようにいたしました。Nさんがお亡くなりになった後、クリスマスに大活躍された彼女を偲ぶため、もみの木がテラスに植えられ、ライトアップもできるよう設備させていただきました。

Mさん
「姉妹の絆をわかばテラスで紡ぐ」

姉妹二人で90歳を超えてからわかばテラスに入られたMさんご姉妹は、二人とも長年教育関連の仕事をされ、聡明な方でした。お姉さんの体調は良好でいらっしゃいましたが、妹さんが認知症を発症されており、一人暮らしで体も弱い方であった為、妹さんを心配されたお姉さんが一緒に入居されたのでした。お姉さんは亡くなったご主人が趣味で畑仕事を楽しんでいらっしゃったこともあり、わかばテラスでも、積極的に里山療法を実践され、植物や、農作物のことをスタッフや他の入居者の方達に教えてくれる存在でもあります。妹さん思いのお姉さんは、テラスで一緒に生活しながら、毎日妹さんと穏やかに暮らしていらっしゃいましたが、妹さんの体は徐々に弱っていき、認知症も進行が見られました。度々入院が必要となることを繰り返しながらも、医療法人運営施設ならではの医療と介護の連携を活用し、できる限りのケアを続けながらテラスでお姉さんと一緒に過ごせる時間を最大限作るようにいたしました。

「最期の時も近くにいられるように」

妹さんが自力で動けず、食事が取れなくなっていても、二人の絆は強く、できるだけ一緒に過ごされていました。新型コロナウイルス流行の事情もあり、お姉さんは、病院よりもテラスにいて欲しい、静かに穏やかにいかせて欲しい。とお話しをされました。ある夜、いつものようにお二人は一緒に過ごされ、優しく手足をさすっておられました。本当に二人とも穏やかな表情で、安らぎに満ちていました。そしてその晩、妹さんは本当に眠るように、安らかに息を引き取られたのでした。 妹さんが亡くなられた後もお姉さんはわかばテラスに留まられ、終の住処でオルソープガーデンを楽しみ、里山療法に励んでいらっしゃいます。

「入居初めごろの気持ちを和歌に込めて」
Mさんのお姉さんがテラスに入られる時のお気持ちを和歌にされていました。
  • 哀歓を秘めし家巡り鍵かけぬ捨てし田畑に別れも告げず
  • 移り住むホームは踊石町の「わかばテラス」は我に添はぬ名
  • 二人して入りたるホームに耳遠く老いさぶる妹の寝顔おだしき
  • トイレに行く老に手を添ふスタッフの若者の顔は義務的ならず

長年住んだ家を離れる決心に、不安な気持ち、それでも妹さんのテラスでの穏やかな顔を見る愛おしさ、そしてテラススタッフに対して徐々に芽生えた信頼、入居始めごろの気持ちがとても感じられます。
Fさん
「ご自身で希望されたわかばテラス入居」

98歳になられる方で、お茶の先生を長年しておられ、とにかく遊ぶことが大好き、風流人で活動的な方でした。そして、わかばテラスの施設長が子供の時からお世話になっていた方でもありました。お元気で、施設には入らないとおっしゃっていましたが、当医療法人わかば会の病院がかかりつけで、病院の方の健康教室などに精力的に参加されているうちに、わかばテラスに入りたいと、ご自身で希望なさいました。

「わかばテラスでの日々が新たな夢のスタートに」

お茶の先生であり、社交的なFさんはオルソープガーデンで野点の茶会を開きたいというのが入居時からの夢でした。しかし、思ったよりも規模も大きく、設備も設営も大規模。試みた初年度は準備が難航、天候にも恵まれず結局屋内での茶会となりました。それでもFさんは十分な手応え、充実感を得られた様子で、来年は、必ず!と再度意思を固くされました。そしてようやく翌年、オルソープガーデンで、野点の茶会を行うに至りました。野点の茶会にお出ししたお菓子は入居者の方々の手造りのもので、約150人の方がお見えになりとても喜んでいただけて、Fさんもとても満足しておられました。人のお役に立てたという「生きがい感」を十分に感じておられました。100歳を前にして、わかばテラスでの目標を見つけていただけたこと、そしてそれを実現し、楽しんでいただけたことは、スタッフ一同の大きな喜びとなりました。